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1969-1982 踏み出した記念すべき第一歩

カーマン・アパッチがサーキットで唸りをあげてから40年
オートバックスのモータースポーツ活動は多岐に渡り続いている
活動の形態は変化したが、根底には常に"挑戦"の二文字が存在していた
text:大串信(Makoto Ogushi)

歴史の始まり“カーマン・アパッチ”

「1969年の日本グランプリは、トヨタとニッサンが総力をあげて開発した怪物2シータースポーツカー、トヨタ7とニッサンR382が覇権を争う中に、ポルシェの世界選手権主力マシン、917が乱入するということで日本中のレースファンから注目を集めた。実はこのレースに、それまで誰も見たことがなかったスタイリッシュなレーシングカーが現れている。カーマン・アパッチと名乗るそのマシンは、大阪にある富士ドライブショップがエントラントとなり、ハヤシカーショップに委託して開発したものだった。富士ドライブショップ、言うまでもなく現在のオートバックスの前身である。カーマン・アパッチは、ワークスチームや国内有力チームがエントリーしたGP-1クラスの怪物マシンに対抗できるだけの性能は到底持ち合わせてはいなかったが、夢と希望と冒険心に溢れた記念すべき挑戦の第一歩であった。これがオートバックスのモータースポーツ活動の原点である。

オレンジカラーの登場

オートバックスのロゴが、オレンジ色のイメージカラーとともにサーキットへ現れたのは、82年10月に富士スピードウェイで開催された世界耐久選手権WEC in JAPANでのこと。中村正和・見崎清志組のマーチ75S及び舘信秀・星野薫・鈴木亜久里組のトヨタセリカCがオートバックスカラーに身を包み、コースに現れたのである。今や見慣れた、イメージカラーのオレンジ色に車体を包み、そこにオートバックスのロゴを描き込む、オートバックスのフルカラーリングは、このとき初めてサーキットを走ったものだ。当時、国内レースでは統一されたイメージでのフルカラーリングだけでもまだ珍しかったが、オートバックスはそれに加えてサーキット外でもレースと連動したプロモーションを展開している。当時、全国160店舗で、WEC in JAPAN開催に合わせたモータースポーツフェアを実施したのだ。モータースポーツに対する支援を単にサーキットの上だけに終わらせず、モータリゼーションをとおしたひとつの文化活動として推進。オートバックスは時代の先頭を走り始めたのである。