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1983-1985 多岐に渡る活動でレース界を席巻

活動の場を世界へ

オートバックスは、その活動の場を大きく広げていく。83年には世界中から集まったスポーツカーが24時間にわたって走り続け順位を争う世界一過酷なスポーツカーレースであるル・マン24時間レースで、日本から参加した童夢RC82iをサポートする一方、84年には世界ラリー選手権第4戦、サファリ・ラリーに出場したスバル・レオーネ4WDのサポートも行い、世界の舞台へ進出する。ラリーは、富士ドライブショップ時代に関連商品を販売したり、顧客開拓の一環で競技主催等を行ったこともあり、オートバックスにとって縁の深い競技でもあった。
国内では、当時国内トップフォーミュラであった全日本F2選手権と並んでレースファンの人気を集めていた日本独自のオープンスポーツカーレース、富士グランチャンピオンレース(GC)、さらにはいわゆる「ハコ車」のトップカテゴリーとして当時人気があったスーパーシルエット・チャンピオンレースで幅広いサポート活動を展開した。

興味深いのは、プロドライバーの登竜門として位置づけられている全日本F3選手権に出走した女性選手、吉川とみ子に対するサポートだ。これは、モータースポーツの底辺拡大を支援すると同時に、モータースポーツ専門メディアにとどまらず一般メディアでの露出を狙った戦略であった。オートバックスのモータースポーツ活動の基本、「モータースポーツの底辺拡大と顧客開拓」という方針はすでにこの当時に芽生えていたのだ。オートバックスはモータースポーツに対するサポートを充実させていった。

84年には新たにパリ・ダカール・ラリー(いわゆるパリダカ)出走車にも支援を行った。パリダカは、20日間にわたって荒野を突進して順位を競うラリーレイドと呼ばれる競技で、当時日本で注目を浴びていた。
国内ではグループCカーによる全日本スポーツプロトタイプカー選手権、全日本F2選手権、富士GCシリーズ、全日本F3選手権と、幅広い支援活動を継続した。一国内企業がここまで広範囲のスポンサー活動を複数年にわたって展開し、レースファンの意識の中に浸透した例はない。

しかし、85年、その方針は転機を迎えた。サポート範囲を大幅に縮小し、シーズン一杯でその活動を休止したのである。前年の成績がふるわなかったこともひとつの理由だったが、国内レースのサポート方法、特に顧客層からかけ離れたカテゴリーに対するサポートの有効性に様々な議論があった結果、若いユーザー層をターゲットにしたマーケティング戦略を見直し、より幅広い顧客を開拓する方向で方針変更を行うことが決まったためであった。
こうして世間がバブル景気に向かっていく中、オートバックスは85年を機に、レースの世界からしばらく姿を消すこととなる。

1983 富士1000km/鈴鹿1000km
童夢RC83(E.エリジュ・T.ニーデル組)
1983 鈴鹿1000km/WEC in JAPAN
ミサキスピードC(グッピー)(見崎清志・中村正和組)
1983 WEC in JAPAN富士1000km
童夢RC83(E.エリジュ・T.ニーデル組)
1983 スターレットグランドカップレース
オートバックススターレット(星野薫)
1983 全日本F2選手権
マーチ832(松本恵二)
1983 全日本F2選手権
アコム・オートバックスマーチ832(E.エリジュ)
1984 第6回パリ-ダカール・ラリー
トヨタ・ランドクルーザーBJ61
(小川義文・松前次三・E.G.バテフリエ組)
1984 全日本F2選手権
オートバックスマーチ842(E.エリジュ)
1985 CITYブルドッグレース
オートバックススーパーシティ(辰巳裕信)
10 1984 全日本耐久選手権・WEC富士1000km
 オートバックス童夢RC83i(鈴木亜久里・R.キーガン組)
11 1985 富士グランチャンピオン・シリーズ
 オートバックスMCS(吉川とみ子)
12 1985 全日本ツーリングカー選手権
 オートバックス南条自動車RX-7(重茂一夫)