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疾走し続ける ドリームプロジェクト -1-

日本のモータースポーツを変えるべく動き始めた空前のプロジェクト
前例を見ないその規模と追い求める理想の高さに
プロデューサーを務める鈴木亜久里は時に戸惑いを見せながらも
オートバックスとの協力で一歩一歩確実に前進を続けていく
text:大串信(Makoto Ogushi)


「若い頃にオートバックスにはスポンサーになってもらったことがありますが、ARTAプロジェクトはそれとは関係ないところから始まりました」と鈴木亜久里は語る。F1グランプリを戦った後に第一線を退いた亜久里は、1996年に自らのチームであるスーパーアグリを立ち上げ、全日本選手権フォーミュラ・ニッポンで活動を開始する。だが、亜久里はただ単に自分のチームでレースに参加するだけでは満足できなかった。

そんなときに、亜久里はオートバックスに出会う。亜久里はオートバックスに、ともにひとつのプロジェクトを推進しようと提案した。それは、若い才能にチャンスを与え、将来的に日本のレース界、ひいては日本の自動車文化を支える人材を生み出そうというプロジェクトだった。アフターマーケットの開拓や刺激を狙っていたオートバックスも、顧客を育てていかなければならないと考えていた。ここに両者の思いは一致し、97年、壮大なプロジェクトが動き始めた。

長きにわたるプロジェクトがイメージを浸透

オートバックスはすでにオートバックス・レーシング・チーム(ART)として、草の根モータースポーツ支援活動をしていた。ARTAはその発展という位置づけになる。「いちばん最初に、僕は5年契約にしてほしい、とお願いしたんですよ」と亜久里は言う。モータースポーツに限らず、この種のスポンサーシップ契約で5年という期間の長さは異例だ。

「でも、僕は単にレーシングチームをやりたいわけではなくて、子供たちを育てようというプロジェクトを始めるんです。1年でいいですと言ったら、それは嘘になってしまう。だから結果を出すためには少なくとも5年下さいとお願いしたんです。」理想だけを語ってスポンサーを集めるだけではない、亜久里の本気がオートバックスにも伝わった。そして、業界を驚かせる長期契約が結ばれた。

亜久里は、若手ドライバーを育成する仕組みを試行錯誤しながら作り上げていった。その一方で、育成した若手の受け皿であり、かつオートバックスのレース活動の象徴として、国内モータースポーツ界のふたつの頂点、すなわち全日本選手権フォーミュラ・ニッポンと全日本GT選手権(現スーパーGT)でオートバックスカラーのマシンを走らせる体制を整えた。

若手育成から草の根モータースポーツ、そして国内トップカテゴリーのレースまで、オートバックスの関わる活動には、ARTAの統一したイメージカラーが用いられた。さらに、ARTAのロゴの入ったチームウェアを、オートバックス各店舗のスタッフも着用するに及んだ。
「今では、このオレンジ色を見るとARTAのこと、そしてオートバックスのことを思い浮かべるでしょう?日本中のサーキット、あらゆるカテゴリーのレースでこの色とデザインのクルマが走り回っているし、お店のスタッフもこのウェアを着ている。ほら、マールボロは字が書いてなくても、似たような色とデザインを見るとマールボロだってわかる。だんだんあの感じに近づいてきたような気がしない?」と亜久里は言う。