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疾走し続ける ドリームプロジェクト -2-

結果を出すことの難しさ

だが、イメージはそれなりの成果があってこそ根付くものである。広く報道されるレースの結果と無関係ではない。だが、先行する強豪、ライバルがひしめく国内トップレベルのレースで戦果を挙げるのは容易ならざること。当初はプレイングマネージャーとして自らを配置し、実戦も担当していた亜久里だったが、あっけなく現役を退き、マネージメントに徹する。

「オートバックスからは、レースの部分については全部任せてもらっているけど、それ以外の部分ではいろんなオーダーがくる。それに対応するためにも、僕自身はドライバーを休業した。あまりにもやらなければいけないことが多すぎて、両立は無理。でも、それだけARTAプロジェクトにはやりがいがある。ARTAの基本は若手育成プロジェクトだけど、やっぱりレースの結果は大切。ARTAは『速い、強い、すごい』と憧れられてこそ、ステータスも上がるわけだから」

とはいえ、実戦では亜久里が願うほどの戦果はなかなか挙がらなかった。最新鋭のレーシングカーをメンテナンスし、ライバルを出し抜く戦略を立て、ドライバーが能力を十分に発揮して、初めてレースの結果が出る。しかし、なかなか歯車は噛み合わなかった。

「若手を育成していれば、レースはどうでもいいという話ではない。フォーミュラ・ニッポンでは本当に苦しい思いをしたし、GTでもチャンピオンが獲れそうで獲れない年が続いた。足りない部分や改善しなければいけない部分を考えて、変えるべき状況は徹底的に変えようと、できることは全部やったつもり。子供たちに頑張らせるばかりではなくて、それを支援する僕たちも頑張らなくちゃ」

そして、ビックタイトルを手中に

亜久里には悩みもあった。レースに勝つためだけであれば、実力のある選手をスカウトしてチームに迎え入れれば良い。しかし、育成している若い選手たちに希望を与え、受け入れる枠組みとしてもレースチームは機能しなければならない。「できる限り、うち(ARTA)の子を乗せてあげたいと思っていたからね」。

こうした苦境にオートバックスもよく耐えた。成績だけ、メディアの露出だけを期待する単なるスポンサーにはできないことだ。亜久里もそれはよくわかっている。「最初は、オートバックスの中でも『何をしているんだろう?』という雰囲気があったみたいだけど、プロジェクトを理解してくれて応援してやろうという人が増えていった。ただステッカーを貼ってお金をくれという話だったら、ここまで続いていなかったと思う。一部上場企業の社長や役員がレースの応援に来てくれるのは異例のことだと思うし、それだけ応援してくれているんだと感じる。あっという間に5年が経って『じゃあもう5年やろう』と言ってくれた。何をやっているのか、何をやろうとしているのかを理解してくれたから、継続が決まったんだと思う」

ひとつの企業がここまでの長きにわたってひとつのレースプロジェクトに関わり続けた例は珍しい。そして、ARTAはプロジェクトを立ち上げ10年目に当たる07年、ついにスーパーGTのGT500クラスでシリーズチャンピオンに輝いた。

「ちょうど10年という区切りのシーズンにチャンピオンになれて良かった。正直なところ、ホッとした。毎年、獲れそうで獲れない思わせぶりなことを続けていたからね。ここまで付き合いが深くなると、獲れなかったときは逆にオートバックスの方々が気を遣ってくれていた」と亜久里は苦笑した。

ARTAプロジェクトは新たな時代へと突入した。サーキットには、いまも巨大なオートバックスの応援旗がはためいている。