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海を渡ったARTA Spirits

海外挑戦はドイツF3からスタート

ヨーロッパ、アメリカ、そしてF1へ
これまでの常識では考えられなかった数々のチャレンジが
日本モータースポーツ界の意識に風穴を開けていく
text:大串信(Makoto Ogushi)

ARTAが活動の中心に置いた若手ドライバー育成プログラムは、国内だけでなく海外をも意識した活動だった。モータースポーツの本場はヨーロッパであり、ヨーロッパのレースで戦う経験が必要だったからだ。

ARTAの育成ドライバーとして最初に海外進出を果たしたのは金石年弘である。金石は、ARTAドライバーとして1998年から全日本F3選手権に参戦、99年には2勝を挙げてシリーズ2位となった。この勢いを駆り、まずF3世界統一戦の一戦、コリア・スーパープリへの参戦を果たす。ここで金石は予選でフロントロウを獲得してヨーロッパからやってきたチームを驚かせると、翌2000年からドイツへと渡り、ドイツF3選手権への参戦を開始した。ドイツ2年目の01年シーズンにはシリーズ2勝を挙げ、最終戦までシリーズチャンピオンを争い、ついにドイツF3シリーズチャンピオンに輝いた。

このシーズンは、フランスF3選手権で福田良、イギリスF3選手権で佐藤琢磨がシリーズチャンピオンとなって話題となった。金石はその一角に食い込んだのである。金石たちが本場ヨーロッパの登竜門カテゴリーでチャンピオンになったことは、極東の島国から世界を目指す若者たちにとって大きな希望となった。金石は、日本から世界へ続く道を開拓してみせたのである。

この流れに乗って、その後井出有治がフランスF3選手権、松浦孝亮がドイツF3選手権と、有望な才能がARTAのバックアップを得てヨーロッパのF3シリーズへ参入。さらには金石勝智が、03年にドイツ国内の最高峰ツーリングカーレース、ドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)への参戦を果たしていった。

切り開かれた新たな可能性

03年、今度はアメリカ最高峰のフォーミュラカーレースであるインディ・レーシング・リーグ(IRL)に、スーパーアグリ・フェルナンデス・レーシングとして進出。04年にはヨーロッパで経験を積んだ松浦をこのチームからIRLにデビューさせ、並みいるライバルを抑えてルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得させた。

 

一方で亜久里はスーパーアグリF1チームを組織し、06年に念願のF1進出を果たす。レーシングカートからF1まで、ここに世界最大と言えるレーシングプロジェクト体系を形作ることになった。亜久里は言った。「レーシングカートで頑張っている子たちにF1までの路を見せてあげたかった。オートバックスの人たちと、ARTAで育てた子供たちがF1で活躍するところを見るのが夢なんですよ」。

惜しくもチームは種々の事情により08年途中で活動を休止したが、亜久里が切り開いた可能性は、それまで無理だと考えられていた日本と海外の壁を崩し、一気に日本のレース界を本場に引き寄せた。そして、ARTAに所属するドライバーはもちろん、日本の若手ドライバーたちのモチベーションを高めることにつながっていく。

ARTAの支援を受けた若い選手たちの進む道に壁はない。亜久里の思いに支えられ、彼らは世界を股にかけてその才能を磨きつつある。