AUTOBACS MOTORSPORTS

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希望を載せたオリジナルマシン

コンパクトなボディにガルウイングが持つ
見慣れないフォルムのマシンがサーキットに現れた
そのマシンの名はガライヤ
街のカー用品店によって製作されたガライヤは以後
モータースポーツシーンに欠かせない存在となる
text:大串信(Makoto Ogushi)

ガライヤは、オートバックススポーツカー研究所が開発した少量生産ロードゴーイングスポーツカー。その車両をベースにしたマシンが全日本GT選手権(現スーパーGT)GT300クラスに参戦したのは2003年のことだ。

アルミ製モノコックフレームの全簿にはスチール製チューブラーフレームが伸び、エンジン及び前後車輪を支える。ボディはカーボンファイバー製。エンジンには当初、ターボ過給SR20DETが搭載された。

なぜオートバックスは、オリジナルマシンを開発してサーキットに送り出したのか。レース活動を担当している森本眞臣氏は言う。
「クルマを造ることが目的ではなかったんです。自分たちで造ったクルマを、自分たちと同じオレンジ色のユニホームを着た人間が走らせる。このことでオートバックスは単なるカー用品店ではなく、クルマを組み立てられる技術を備えた会社なんだという自信とモチベーションをオートバックスの社員に感じてもらいたかったんです」

わずかに王座に届かず、GT戦線から一時撤退

走り出したガライヤは速かった。特に中低速のコーナリングではライバルを圧倒する速さと安定性を示した。ガライヤはデビューシーズンにもかかわらず上位入賞を続け、シリーズチャンピオン争いに加わる。惜しくもシリーズ7位に終わったが、大きな可能性を残した。

ところが、予想外の弱点も明らかになった。直線スピードが伸びなかったのだ。これは、小排気量ターボエンジンがGT独自の競技規則により十分なパワーを発揮できなかったせいだと考えられた。そこで、翌04年にはエンジンを自然吸気V型6気筒VQ35DEに換装した。

その結果、加速性能が向上し、懸案だったストレートスピード不足も解消。再度チャンピオン争いに加わった。しかし、M-TEC NSXと最終戦まで格闘を続けた結果、選手権ポイントわずか1点差で王座を逃す。翌年、GT300監督の金曽裕人は「チャンピオンになれなかったらチーム解散」と覚悟をかため、必勝を期してシリーズに臨んだ。だが、チャンピオン争いには加わったものの、最終戦でトラブルが発生して敗北、シリーズ3位に終わり、ガライヤはGT戦線から撤退した。

その後、GT車両は展示車両としてフランスのオートバックス店舗に渡る。しかし07年、鈴木亜久里の「ARTA発足10年目の節目に復活させたい」という思いから、ガライヤは再び現役に復帰することが決まった。

ガライヤを通じてクルマの楽しさを伝えたい

「最終的な復帰は私が決めました。こんな時代だからこそレースに参戦する意味がある。お客様に近いところからメッセージを発信できる我々だからこそ、ガライヤの活躍を通じてクルマの楽しさを伝えていける。そして共感を持っていただくことで、オートバックスへの信頼もいただきたいと考えました」(森本氏)。

こうして07年、慌ただしく最新の車両規則、競技規則に適合した車両が準備され、開幕戦で再デビューを果たす。1年のブランクを置いてもガライヤの戦闘力は以前として一線級にあり、富士スピードウェイで開催された復帰3レース目に速くもクラス優勝。復帰1年目ながらタイトル争いに加わったが、惜しくもランキングは4位に留まった。08年には、シャシーを新規開発。第2戦(岡山国際サーキット)および第5戦(スポーツランドSUGO)で優勝を飾った。

念願のチャンピオンに向け、ガライヤは、オートバックス社員とそのお客様の想いを代表する存在としてサーキットを駆け続けている。