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輝ける原石を、世界へ

人が相手だけにドライバーの育成は一筋縄ではない
試行錯誤を繰り返しながら徐々にシステムは練り上げられていき
ARTAプロジェクトが生み出した育成プログラムの流れは
いつしか日本モータースポーツ界の本流となっていった
text:大串信(Makoto Ogushi)

輝ける原石を、世界へ

鈴木亜久里が、若手ドライバーの育成を軸にARTAプロジェクトを立ち上げたのは、自分自身の経験と無関係ではない。亜久里は、レーシングカート時代に神童と呼ばれながら、金銭的な壁にぶつかって4輪レースへのステップアップに手間取り、一時期は自分でレース資金を稼ぎ出すために自動車用品輸入販売会社を設立して活動するなど、苦労を重ねた経験の持ち主なのだ。

せっかく才能を持っているなら、自分のような遠回りをしないようにその若者を支援したい。4輪レースの頂点であるF1グランプリまで到達し、日本人として初めて表彰台に上がった亜久里が、次の目標として自分に続く若手ドライバーを育てようと発想したのは、自分をそれまで支えてくれた日本のレース界に対する恩返しのつもりでもあった。

痛感した人を育てることの難しさ

若手育成プログラムはさまざまな形で日本国内に存在している。その中でも、規模と範囲という意味においてトヨタ、ホンダが運営するプログラムに並立しているのが、オートバックスのバックアップを受けて鈴木亜久里が運営しているARTAプロジェクトである。

亜久里は言う。「ARTAが一石を投じたかな、という感じはするよね。ウチがやり始めたから、自動車メーカーもきちんと体制を作ることになったんだ」

ただし亜久里自身は「育成」という言葉には難を示す。「僕は、子供たちに『育ててあげる』とは言わない。ARTAに入ったからトップドライバーにしてもらえると思ったら大間違い。才能があり努力をしている子の応援をしてあげるだけ。本人が頑張れば、それなりの環境は準備するけど、努力する気持ちや、やる気がないなら何もしてあげられない。ARTAは学校ではないんだから」

亜久里がこうした考えにたどりつくまでには紆余曲折があった。プロジェクト設立当時、亜久里が思い描いていたのは、違う形で才能を発掘し育成する方法論であった。若手育成プログラムに着手する際、亜久里は「モータースポーツは身近にないため、実はモータースポーツの才能を持って生まれてきたのに、それに気づかないまま野球やサッカーなど身近なスポーツに進んでしまう子供が多いのではないか、日本国内にはきっと世界に通用する才能を持った子供が生まれているはずだから、その才能を発掘しよう」と言っていた。そして始めたのが、一般からのオーディションであった。

全国から、レース経験の有無にかからわず、ARTA加入希望者を募り、書類選考の後に全国数カ所で基礎体力や反射、判断力などを測定。面接をおこなって「候補生」数人が選び出された。この数人に対し、1年間にわたってレーシングカートの英才教育を施し、より上位カテゴリーへ進出させるという構想である。

確かに画期的な発想と試みであった。しかし、この初期の方針はじきに壁にぶつかった。「選ばれたから育ててもらえる」という甘えが候補生の中に生じてしまい、亜久里が期待するだけの成長がなかなかされなかったのである。

そこで育成プロジェクト開始後4年目の2001年、ARTAは理想論からの軌道修正を行った。当初の亜久里は「レースが好きでやる気のある子は、僕らがオーディションをやる前から、とっくにカートを始めているんだっていうことがわかった」と言っている。

紆余曲折を経て新しいシステムへ

こうしてARTAは、レーシングカート以前に置いていた育成プログラムへの入り口をレーシングカート以降へずらした。この方針転換に伴い、ARTAはレーシングカート界への関与を深める。候補生の夏合宿の一環として開催していた独自カートレースイベントARTAカップを拡大し、広く参加者を集め、そこで好成績を挙げた選手の中から才能を発掘する制度を設けたのだ。

さらに、ARTAカップにとどまらず、ARTAチャレンジとして全国を転戦する独自のシリーズ戦の運営にも踏み切った。その後ARTAチャレンジは発展し、現在では国内格式のシリーズ戦として運営され、シリーズチャンピオンにはレーシングカート世界選手権、鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)を含む4輪へのスカラシップがあたえられるようになった。

ただし、ARTAが当初抱いていた、カートへの入口を広げるという理想が取り下げられたわけではない。ARTAチャレンジには、通常のカートライセンスの取得年齢に達しない8歳以上の子供たちを受け入れるためのクラスも設けられ、いわゆるキッズカートからのステップアップ組を受け入れているほか、北海道、北九州で行われるカートスクールを支援、夏にはツインリンクもてぎで合宿形式のサマースクールを開くなど、地道な活動も再整備のうえ運営されているのである。

このように、ARTAプロジェクトは、その範囲ときめ細かさ、特に若い才能を見いだして拾い上げるという面においては、メーカーが運営する育成プログラムを凌ぐ内容にまで練り上げられた。

ARTAプロジェクトが発掘し育てたドライバーとして、井出有治、金石年弘、松浦孝亮、伊沢拓也、塚越広大らがいる。彼らがARTAの支援を受けるようになった経緯は皆それぞれ異なる。ARTAチャレンジが基本にはあるものの、亜久里をはじめとするスタッフはその他様々な分野へ常に目を配っており、才能を持ちやる気をもってモータースポーツに取り組んでいる若者には、チャンスを与える仕組みが機能しているのだ。

チャンスを与えた後も、それぞれに合わせた環境が与えられる。また、ARTAに所属しているドライバーは、ARTAを目指して努力する若い才能に様々な形で助言を与える役割も果たしている。だからこそ彼らは、現代日本のモータースポーツを支えるスター選手にまで成長した。そして彼らは次世代のヒーローを育て始めている。オートバックスと鈴木亜久里が始めたARTAプロジェクトは、日本のレース界を支える柱になったのである。